小沢健二「LIFE再現ライブ」に参加して考えたこと ③


3.「台所は毎日の巡礼」から「流動体について」まで。前半終了

 

続いては、一番新しい曲という「台所は毎日の巡礼」。「モノクロマティック」ではじめて聴いたときは、家庭料理の話を中心にしたユーモア漂う歌詞と軽妙なアレンジに目が行ってしまっていたのだが、あとで詞を読むと小澤征爾さんが亡くなられたことについて歌っていると気づいた。そのうえで読み直すと、小沢健二が「天使たちのシーン」からずっと同じ主題、つまり自然の中での生き死にのサイクル中で、ほんの束の間存在を許された個体として生きることをどのように受け止めればよいのかを考えてきたことが分かる。「天使たちのシーン」や「いちごが染まる」よりも人間存在の悲劇性の表現は和らげられ、「神秘的」よりも私小説的スタイルのおかげで平明な印象になっているが、一貫して同じ戦いを生きている作品だと思う。モノクロのときに比べ、今回はストリングスの響きの表現が効果的で、「未明 大雪になり君は去る」のときには夜空を魂が飛ぶイメージがはっきり浮かんだし、最後の「生きる」が切実な決意表明のように迫ってきた。

 

新しい曲が続いて「ぶぎ・ばっく・べいびー」。子どもたちのコーラスグループがわらわらと出てきて目の前に並んだ。かわいい。はじめはおとなしい演奏で、小沢が歌うのに続いて会場に来ている子どもたち(1000人いるはずとのこと)に歌ってもらうよう促していたが、スチャダラパーが出てくると一気に盛り上がる。この曲、CDではいやにあっさりとしていて、最後もふっとろうそくを吹き消すようにさっと終わってしまうが、ライブでは爆発的に盛り上がるし、小沢の歌も「エモい」とでも言うのか、色気がある。CDよりもライブの方が断然いいとおもう。

 

そして「彗星」を経て「流動体について」。今回はストリングスが大きく聴こえる席だったので、これらの曲はとても聴きごたえがあった。『So kakkoii 宇宙』のストリングスの編曲は、「渦を巻く宇宙の力」の具体的形象だと思う。「彗星」で1995年を回顧しつつ生き残った人々による乾杯がなされ、「流動体」では神の存在・非存在にかかわらない意志の力が賞賛されるのは、先に演奏された「天使たちのシーン」から「旅人たち」を思い起こすと、感慨深いものがあった。そう、こんなふうに、この先も生きるのだ。

 

ここで前半は終了。たぶん始まってから1時間以上経ったんだろうけれど、体感時間は非常に短い。


2024・9・22 髙村夏輝(博論社・顧問)

 

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